| (3) 母親以外誰も尋ねてくることのない病院のベッドに、少年は一年も前から 眠り続けていた。 揺すっても呼んでも起きない息子に、母はいつしか目醒めることを諦めてしまった。 変化のない病状。治療の手はすでに尽くされていた。 今日は彼の16歳の誕生日。都会の新生活にも学校にも慣れないまま、月日は 流れ、本来ならば彼は高校へ行っているはずだった。 母親は真新しいスニーカーを少年の枕もとに添える。 去年、父親と選んで買い与えた靴だった。同じメーカーの同じ色の靴。しかし、 サイズは少し大きめにした。去年息子に怒られたことを思い出す。 子供の身体は親の想像以上のスピードで、成長しつづけていた。 母親はベッドの脇の椅子に座り、反応のない息子の手を握った。 机上には夫の写真が立ててある。三人にとって、今日は特別な日であった。 一年前 再婚、転校と環境の変わった少年は、情緒不安定になっていた。 夫は優しかったが、それゆえ気も弱かった。 母親の連れ子に嫌われることを恐れた男は、けして意見を通すことはなかった。 少年が自ら心を開くまで、辛抱強く待つつもりだったのだ。 その、あやふやな態度がかえって少年の反抗心をあおってしまった。 彼もまた、自分をどう表現していいのか解からない年頃だったのだ。 悲劇は、少年の誕生日に起こった。 些細なことで口論となり、少年のひと言により、男は少年の頬を打ったのだ。 ――僕なんて生まれて来なければよかったんだ! 少年は男の態度に戸惑っていた。悲しみでも怒りでもない。ただ、自分がイヤ だったのだ。こんなことで母や父を煩(わずら)わせるちっぽけな自分が嫌だった。 自己への嫌悪に家を飛び出した少年に対して、男もまた、戸惑っていた。 咄嗟に叩いてしまった自分の行為が、彼を傷つけたのだと認識したのだ。 後悔の念と共に追いかけてきた男を、少年は怯えた。 今、顔を突き合わせても、何を云えばいいのか解からない。 逃れるように閉まりかけた踏み切りへ飛び込んだ。 少年に電車が迫っている――。 次の瞬間、少年は飛ばされた。 男が示した父親としての最初で最期の〈愛〉は、 自己の命を引き換えにすることだった――。 「ナオちゃん、16歳のお誕生日、おめでとう。 あなたが生まれてこなかったら、私は生きてゆけなかったわ……。」 母親は、握った少年の手に力を込めた。 「ナオちゃん……、これからも生きて。あなたは辛いでしょうけど、これからも 生きつづけて。 ナオちゃん、この世に生まれてきてくれて、ありがとう……。」 ――この世に生まれてきてくれて、ありがとう…… 少年の目が微かに動いたことに母親は気づかない。 今、少年は、永い永い眠りから目醒めようとしていた――。 〈END〉 (1) (2) 物語へ |