線路

(1)

長い長い線路が僕の目の前に続いている。
少し錆びついたレールはいつから使われていないのか、そこに何かが
運行していたとは思えないほど、静まり返っていた。
少なくとも僕が歩き出してからは電車は1度も見かけない。
足の裏に感じる振動すらない。
ただ1本のレールがどこまでも続いている。
僕はあの先まで行ってみようと思う。
別に理由(わけ)などない、僕はただ、家に帰りたくないだけなんだ。

地平線の果てはぼんやり霞んで、世界を無限にしていた。

――何があるというんだ、僕は何故歩く?

15歳の誕生日におろしたばかりのスニーカーが痛かった。
靴ずれをしている。歩くたびに、かかとがこすれる。
成長期の僕の足がいつまでも同じはずがない。
何も考えない母は去年と同じサイズの靴を、今年もプレゼントしてくれた。
気恥ずかしいほどまでの、眩しい白。

――母さん……

僕は唇を噛みしめる。
女でひとつで育ててくれた母さんに、僕はひどいことを云ってしまった。

――「僕なんて、生まれて来なければよかったんだ!」

母の見ひらいた目と、絶望に満ちた顔が忘れられない。

――帰れない……

もうケンカの理由すら忘れてしまった。きっと他愛のないことだったのだろう。
母子家庭の僕を、母は充分すぎるほど甘やかせてくれた。
父のことは知らない。親戚の話では、未婚のまま僕を生んだらしい。
その負い目から母は、人並み以上の暮らしを僕のために提供した。
それがどんなに大変なことだったか、今の僕にはよく解かる。
本来ならば、僕が母を助けるべきだった。
何の不自由もなく育った僕は、浅ましくも傲慢で利己的だった。
単純に子供だったのだ。
母さんの小さな背中に気づかなかった訳じゃない。
仕事で無理をしていた姿も知っていたはずだ。
なのに僕は何故、母を傷つけてしまったのか……。

静かだ。不思議と〈音〉がない。
まっすぐに伸びた線路と、それに平行して流れる1本の川。
辺りは恐ろしいほどの平原で、何もない。
膝たけまでの雑草の緑、緑、緑……。
風が吹いているのか葉先が時おり一定方向へなびく、緑の海。
だが、風を感じることはなかった――。
穏やかな陽射しの春めいた日だ。
……春?
僕は自分がセーターの上に分厚いコートを羽織っていることに気がついた。
暑くも寒くもない体温調整に、僕はそのまま歩き続ける。

――母さん……

僕は親不孝だった。
いったい何をあんなに苛立っていたのだろう。

――「母さんは僕がいないほうがいいんだろっ!」

母さんは泣いていた。母さんを泣かせてしまった自分が許せない。
あんなに好きなのに……、あんなに好きな母さんなのに……。

かかとに違和感があった。
靴ずれをしているはずなのに、考えてみると痛くない。
僕はもう、ずいぶん前から歩いているのだ。

どこから来たのか、草むらから男が現れた。老人だ。
年の割には足取りが軽く、老人はわき目も振らずに線路を横切ってゆく。
老人が目指す先は川の向こうだった。
老人につられて僕も対岸を見る。
そこは――、僕の生まれた町に似ていた。

僕の生まれた町……。地方のちっぽけな町だ。
観光地があるわけでも、名産があるわけでもない。ただそこは、僕の幼い頃の
全てであり、母とふたりきりで過ごした町だった。
……ふたりで?
そうだ。僕たちはあの町を捨てて、今の家に引っ越して来たんだ。
僕たちには不釣りあいなほどの大きな家で、庭があって、車があって、
男の人がいた。
……男の人?

――「ナオちゃん、お母さん、再婚してもいいかな?」

あの日から僕たちは家族になったんだ。
新しい父さんは、僕のイメージする父さんと全然違っていて、ひょろりとした
おとなしい人だった。メガネをかけて、本が好きで、植物を愛し、母さんを愛した。
僕は……。

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