オカリナ少年

(1)

4月の空はどこまでも澄んで、少し肌寒い風が雑草を揺らしている。
僕は河川敷の土手に座り、憂鬱な想いを持て余していた。
父の都合でこの街に引っ越して来たのは先月。
中学2年の新学期に、僕は転校生として迎えいれられた。

小学校から一緒だった親しい友人や、生まれ育った街から離れることは、
僕が13年間生きてきた中で初めて経験する「別れ」だ。
まったく新しい環境の中で、そう簡単に自分の居場所をみつけることは出来ない。
生徒数の少ない今の学校は、クラス替えもないまま三年間を過ごす。
つまり、一年間築きあげた友情の輪に、突然転校してきた僕が入り込む余地など
どこにもなかった。

教室でほとんど誰とも話すことのない僕は、生徒の顔や名前を覚えていない。
それでも毎日明日が来ることに、僕はため息をついた。
穏やかに流れる時間の中で、僕だけ置いてきぼりだ。

膝を抱えて顔を伏せると、不意に隣で声がした。
「ねぇ、キミ。キミはこれを吹くことが出来る?」
唐突な問いかけに顔を上げると、同じ中学の制服を来た少年が立っている。
襟元のバッチに「U」の数字が見えた。同学年だ。

「オカリナだよ。僕は肺活量が少ないから、吹けないんだ。
 ねぇ、何か吹いてみてよ。」
少年は人懐っこい笑顔を見せると、臆することなく僕の隣へ座りこんだ。
「僕は矢口カオル。キミは上原君だろ? ははん、驚いた顔をしてるね。
 僕たちは同じクラスだよ。」
少年に指摘され、僕は気まずくなった。
出席番号で覚えているのは前半くらいなもので、〈矢口カオル〉と云われても
心当たりがない。
「ごめん、気づかなかったよ。席はどの辺なの?」
すると少年は、声高らかに笑った。
「実はキミに逢ったのは始業式の時だけさ。あれから僕も学校へは行ってないから
知らなくても当然さ。」
「行ってないって、どうして、」
見たところ素行の悪い生徒とは思えない。
むしろ初めての相手に無邪気に話しかける彼は、僕にとっては羨むべき性格だった。
いつも煮え切らない態度の自分とは正反対の彼は、多分、誰からも好感が持たれる
存在であろう。

「1年の時から、ほとんど学校なんて行ってないよ。悪い奴だろ?」
「そうは見えないけど。」

川から吹く風が草を渡って、少年を過(よ)ぎる。
彼からは微かに新緑の匂いがした。

細く長い腕が日差しに透ける。色素の薄いブラウンの瞳がはにかむように笑った。
僕は恥ずかしくて下を向く。
他人からこんな笑顔を見せられたのは、久し振りであった。

落とした視線の端に、オカリナが差しだされる。
象牙色の陶器製で、余白に翼を広げた青い小鳥が描かれていた。
手にとると意外に軽く、もし落としたりすれば途端に壊れてしまうだろう。
その危うい脆さが、何故かこの少年と重なって見えた。
「吹いてみてよ。」
促されるまま、オカリナを口に当てる。
うろ覚えのメロディは、僕が子供の頃に吹いていた曲。
祖父の家で聴かされたレコードかもしれない。
それとも、母が口ずさんでいた歌か。
思った以上に美しい音色が、土手に切なく反響した。
わずかに、時の流れが緩やかになる。

「綺麗な曲だね。なんて曲なの?」
僕たちは少しセンチメンタル(感傷的)になる。
「知らない。でも、これしか吹けない。」
「キミもオカリナを吹くの?」
「子供の頃だよ。プラスチック製の安物がおもちゃ箱に入ってたから。」
見つめた少年の瞳が、水を映したように澄んでいて、僕は再び下を向いてしまった。
それはさっきの恥ずかしさとは微妙に違う。
嬉しくて、気恥ずかしくて、僕は動揺していた。

「ねぇ、もう一度聴かせてよ。もっとずっと聴いていたいんだ。」
少年の要望に、僕はオカリナを奏でる。
短い旋律は何度となくくり返されて、夕暮れの土手を優しく染めていった。

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