(2)

「お兄ちゃん、一緒にフェスタへ行きましょう。」
屈託のない笑顔で云う。
「君は昨日、両親と行ったじゃないか。解かってるんだよ。
君が嘘をついたのは。」
「嘘?」
少女は目を丸くした。
シルビアは父親がいないと僕に云っていた。
母親がガレリアのブティックで働いているから、昼間は独りなのだと。
僕たちはずっと同じだと思っていた。
シルビアと僕は独りだと信じていた。
それなのに父親がいたではないか! 
家族仲良くフェスタに行っている!
僕は、僕だけが……。

「アタシ、嘘なんかついてないわ。パパはいないもの。」
「じゃあ、昨日のは誰だよ。仲のいい家族にしか見えなかったけどね、」
年下の女の子を相手に、僕はムキになっていた。
訳もなく悔しい、淋しい、悲しい。

「もう、いいさ。早くパパとママのもとへ帰れよ!」
一瞬、泣くかと思った。
だがシルビアは平然と僕を見つめて云った。

「お兄ちゃん、パパとママね、離婚したんだよ。」
「え……、」

思いがけない言葉に、頭が混乱する。
「アタシ、パパに逢うのは1年振りだもん。
パパがいないのは本当だよ。でも、淋しくないの。
1年に1度でも、パパに遊んでもらえるから。」
シルビアは笑顔さえ浮かべている。
「アタシ、パパもママも大好きだよ。」

1年に1度遊んでもらう――。
パパとママが大好きだよ――。

違う! この少女は愛されているんだ。
たとえ両親が離婚していたって、父も母も彼女を大切にしている。
仲が悪いわけじゃない。二人とも彼女が必要なのだから。

僕は背を向けたい気分だった。
所詮、この子に解かるわけがない。
両親に愛されていない子供の気持ちなんて、
誰にも解かるはずがないんだ!

心が急に冷めてゆく。
もうこれ以上、何も語る気がしない。
話せば余計に、淋しさが募っていく気がした。

「お兄ちゃんは、パパやママと一緒にフェスタに行かないの?」
その一言が僕を憤慨させた。
「行くわけないだろ? 父さんも母さんも僕のことなんか、
何とも思っちゃいないんだよ!」
再び大声を立ててしまった。僕の中で彼女はすでに遠い存在だ。
今や心を揺らすものなど、何一つなかった。
「どうして? お兄ちゃんは1度もパパやママと一緒にフェスタに行ったことがないの?」
「当たり前だろ、」
「一回も?」
「……、」
僕の脳裏に僅かな景色が横切った。それは数秒の懐かしい映像。
古い映写機のフィルムのように、カタカタとコマ送りをしてゆく。
僕と父と母の遠い記憶――。

無声映画の中で、僕たちは幸せそうな家族だった。
父と一緒に乗ったメリーゴーランド。あ、母が手を振っている。
フェンス越しから僕たちに笑いかけている。
父は僕が落ちないように、ぎゅっと腰に腕を回す。
父の温もり。父の体にすっぽり収まった自分の体。
母はなんて優しい顔をしているのだろう……。

思い出した。
僕たち家族は、前に1度、このフェスタへ一緒に来ている。

「お兄ちゃん、来たことがあるでしょう?」
少女の問いに、僕は答えた。
「ああ、あるよ。一回だけね。」
「だったら、いいじゃない。」
シルビアはいとも簡単に云ってのけた。
「いいって、何が、」
「一回あれば、充分ってこと。だってその時の気持ちに嘘はないもの。」
僕は彼女の言葉を噛み締めた。
――嘘はないもの。
「お兄ちゃん、今日はアタシとフェスタへ行きましょう。
アタシ、お兄ちゃんと行きたいの。」
僕はこの小さな天使に腕を引かれて、けして入ることはないと思っていた
春風フェスタのゲートをくぐった。

賑やかな会場は、一枚ずつ僕の重いコートを脱がしてゆく。
楽しい音楽、色とりどりの露店、はしゃぎまわる子供たち。
目に映るもの全てが輝いて見える。
いつしかシルビアと僕は走りだしていた。

そうだ、今日はケーキを買って帰ろう。春風フェスタ限定のショートケーキだ。
砂糖漬けの青いパンジーが上に載っている、あの日僕たちが食べたケーキを。
母が帰って来たら、一緒に食べよう。
それと父のベッドの脇に手紙を添えて。

――父さんへ。仕事ご苦労様。冷蔵庫にケーキが入っています――

                        〈END〉

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