春風通信

(1)

街の中央にあるセントラル広場では〈春風フェスタ〉の準備が着々と進んでいた。
セントラルはこの街の商業地区の中心にあり、ガレリア(アーケード市場)、
ステーション(中央駅)と隣接する3大拠点だ。
市民の憩いの場として親しみ愛されている。
花々をこよなく愛する街の人たちは、春風フェスタのお花市で沢山の
ポット(鉢)を購入する。
どの家々の窓辺にも、赤いゼラニウムが飾られていた。

春風フェスタは春の到来を祝うお祭りである。
数々の露店と小さな遊戯場が子供たちの心をくすぐった。
赤や青のゴーカートやメリーゴーランド(回転木馬)。
風船配りのピエロ(道化師)と愉快なアコーディオン奏者。
芳ばしく煎ったポップコーンに蜂蜜たっぷりのワッフル。
想像するだけで心が躍る。

だが、僕は広場のベンチから遠巻きに設置会場を眺めていた。
想いとは反比例に気持ちが冷めてゆく。
〈春風フェスタ〉など僕には無縁なのだ。
これから数日間、ぼくの憂鬱が始まる。
街は明けても暮れても春風フェスタの話題で持ちきりになるであろう。
当然、僕の居場所などない。ただ閉口するだけだった。

――やっぱり今日も来た。
僕の見つめる相手は小さな女の子だ。
彼女も決まって独りでこの広場に来る。
普通、親ならまだ心配をするような年頃だったが、彼女は黙々と独りで遊んだ。
女の子の名はシルビア。二日前から僕たちは友達だった。

「やあ、シルビア。今日も一人かい?」
「一人じゃないわ。お兄ちゃんがいるじゃない。」
僕たちは似たもの同士だった。彼女は僕で、僕は彼女。
お互い、ひとりぼっちだった――。

僕の父は、バカがつくほどのお人好しだ。
長年勤めていた会社も、同僚の尻拭いで5年前に退社。
不景気なご時世、働き口は工場しかなく、
以来、昼夜逆の生活を送っている。
当然、給料はガクンと減り、母は迷わず自ら仕事に就いた。
母は元々出版関係に勤めていた実績の持ち主で、
キャリアを認めた上での復帰は容易かった。
うだつの上がらない父を母は嘆き、自分の時間、及び全神経を仕事に注いだ。

顔を合わせばケンカが絶えなかった両親は、いつしか顔を合わすことすらなくなった。
母は帰宅が遅く、夜の11時なんてざらだ。
父は夜勤明けで早朝帰宅し、再び夕方には家を出てゆく。
僕が学校に行くころ目にするのは、ようやく起きだした母と、
眠っている父の姿であった。
母は、それが母親の義務かのように、心ばかりの夕飯をこしらえてはくれる。
だが毎晩独りで食するには、今年13の僕にとっては、この上なく淋しかった。

13といえば、そろそろ親の手から自立したがる年である。
それまで親からの愛情と干渉を鬱陶しいほど受けてきた級友は、
僕の環境を非常に羨ましがった。
しかし、彼らは知らない。僕に愛情が足りないことを。

母に何を云われても、頼りなく笑うだけの父がキライだ。
母は確かに立派だとは思うが、父を軽蔑しているのもイヤだ。

ケンカすらしなくなったが、母はいつも何かに追われているような態度だった。
今や母によって家計を支えられている僕らとしては、母を責めることが出来ない。
だが、何かが違う。母は僕のことを何とも思っていないのだ。
母だけであろうか。
父も……、父もとうに母と僕のことを考えなくなっていた。
三人がひとつ屋根の下で個々の生活を生きている。
僕だけなのだろうか……、こんな孤独を抱いているのは。
僕たちは三人でいる意味などないのに、
僕だけが幸せの場所を求めている。

それは他愛のないものだった。
家族そろって食事に行くとか、父と釣りに行くとか。
母に勉強しなさいと叱られることや、それぞれの誕生日をお祝いすること……。
級友が当たり前のように話す姿に、僕は激しく嫉妬していた。
耳を塞ぎ、憎しみさえ感じた。
僕はみんなといたって、いつもひとりぼっちだ。
誰も僕の気持ちなんか解からない。
ただひとり――、この少女を除いては。

いよいよ〈春風フェスタ〉が開催された。
例年僕を悩ませる眩しい人々の笑顔も、今年はどこか他人事に感じていた。
広場を見渡すベンチで、僕は少女を待つ。
僕たちは一人だけど、一人じゃなかった。
言葉に出来ない安堵感が、僕を癒してくれる。
もうすぐ、ほら、シルビアが手を振って……。

「!」

僕は思わず、木の陰に身をひそめた。
シルビアは一人じゃない! 大人といる。……きっと両親だ。
彼女は風船を持ちながら、父親の腕にぶら下がるよう歩いていた。
優しげな母親の顔も見える。
……なんてことだ! 彼女は独りではなかったんだ。
シルビアの笑顔が、僕を絶望の淵へと追いやった。
憎い、憎い、憎い――。
僕は本当にひとりぼっちだ。

翌日、僕は再び広場のベンチへ来ていた。
彼女が来ると信じている。
どうやって彼女を責めてやろうかと、そればかりを考えている。
万が一、彼女が両親と来たら……、そんな一抹の不安をよそに、
シルビアはいつも通り僕の目の前に現れた。

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