| (2) 3月だというのに夜になって気温がかなり下がった。 レンガの舗道に、白いものが舞い落ちる。 ……雪だ。雪が降っている。 僕は訳もなくひたすら歩いた。ただ下ばかり見つめて、行き交う人と時どき肩がぶつかりもした。 だが僕は立ち止まらない。 僕が行けるところなんて、この街ではひとつしかないんだ。 丘の上に立つ――。 雪はいよいよ本降りとなって、屋根を白く染めていた。 ぼんやりと光る街頭に、街はひっそり沈みこむ。 サクラ並木も、すでに暗色に溶けていた。 ――みんなで行くのは、初めてだから。 リューの云ったことは本当だ。僕はママが死んでから一度だって行ったことがない。 ママが好きだったサクラ。ママと見たサクラ。僕とママのふたりだけの思い出。 僕にとってはサクラは聖域だった。けして侵してはいけない領域。 僕とママの思い出は永遠でなければならない。 僕の一途な想いは我儘だろうか。リューを傷つけているのならば……。 すっかり体は冷えこんでしまった。 サクラの木にも雪が積もり、S字型のラインを作る。 凍える手に息を吹きかけると、視界の端で、微かに動く物陰に気がついた。 「リュー、」 いつからいたのか、リューが淋しげに佇んでいる。 怒るでも泣くでもなく、いつになく感情の消えた顔だった。 僕は弟のそばに駆けよる。僕が声をかける前に、リューが口を開いた。 「キル……、キルがボクのこと嫌いなのは解かってるよ。」 「嫌いだなんて、そんなこと……、」 僕はそれが事実なだけに、うまい言葉が見つからない。 嫌いと云ったら語弊がある。だが正直、素直に見つめることは出来なかった。 「キルもボクがジーンの子供になればいいと思ってるんでしょ? ボク、行くよ。 だからもう、こんなところに来なくていいんだよ。」 「何を云ってるんだ?」 「パパとジニーが話してるのを聞いちゃったんだよ。ジニーがボクを養子に下さいって……。」 「バカなっ!」 僕は思わず大声を上げていた。 あきらかに否定ととれる発言に、リューは目を見開く。 「そんなの初耳だ。じゃなかったら何かの間違いさ。リューをやるなんて僕は認めない。」 「だってキルはボクのことが嫌いなんでしょ? ボク、知ってたよ。いつもキルがここで時間 を潰してるの。そんなにボクといるのがイヤだったんだね。 ねえ、キル、お願いだよ。これ以上ボクを嫌いにならないで。」 「バカか、お前は? 嫌いだなんて、1度も云ってないだろ、」 僕は動揺していた。 可愛いリュー。僕のたった一人の弟。 リューは知っていたのだ。僕が彼を避けていたことを。 冷たいナイフが僕の心に突き刺さる。 リューは知っていた。リューは……。 僕は……、なんて残酷なことをしていたんだ。 「ジニーが云ってたよ。ボクが生まれたからママが死んだんだって。 ……だから嫌いなんだね、ボクのことを……。」 淡々と喋るリューを、僕は乱暴なほど強く抱きしめた。 頭が真っ白になる。ただ〈悲しい、悲しい、〉と心が叫んでいた。 「ママはどんな人だったの? ママのことボクは何も知らないんだ。」 僕の目の前にママと見た、いつかのサクラが広がった。 映像は褪せることなく僕とママを包みこむ。僕だけの思い出……。 リューにはママの記憶がない。 「サクラが好きだったんだ。ママとよく、ここからサクラを眺めてた。でも一番綺麗なのは 散りかけのサクラなんだ。川に散った花びらがピンクの帯となって、どこまでも続いてゆく。 どこまでもどこまでもピンクの川は続いていた……。」 街の外に続く、僕とママの秘密の場所――。 ママと最期に来た思い出の場所……。 そうだ、サクラが咲いたらリューを連れて行ってあげよう。 思い出は何度でも重ねてゆけばいい。 「知ってるかい、僕たちの名前。キルとリュー、何の略だか。」 弟は、キョトンとした顔で首を振る。 「キルシュ・ブリューテ。サクラの意味さ。」 そこで僕は、リューの頭の上に積もった雪にはじめて気がついた。 慌てて雪を払ってやる。 「いったい、いつからここにいたんだ、」 リューは僕をまっすぐ見つめると、消え入りそうな声で云った。 「もう、ずっと前だよ……。ボクが生まれた時からずっと。」 僕は思わず苦笑した、と同時に涙が溢れてくる。 「そうか、ゴメン。ずいぶん待たせたね。」 今にも零れ落ちそうになった涙を隠すように、僕は上を向いた。 空から降る一面の白い雪。 僕にはそれがサクラの花びらに見えた。 〈END〉 Copyright(C) Mizuki coco All Rights Reserved (1) 物語へ(目次のページ) |