涙―ルイ―
(1)

一ヶ月前にマミィが死んだ。
一ヶ月経っても、僕は涙が
止まらなかった。

僕はマミィに何もしてあげられなかった。
僕はいい子じゃなかったんだ。
涙はあとからあとから溢れ出し、目の前の世界は藍緑色(アクアマリン)の
ヴェールに包まれた。
眺望する街は湖の底に沈み、丘に佇む僕の心を西風がさらおうとする。
僕は膝を抱えて丸くなり、胸の中でマミィの名を叫んだ。
声には出さない。
僕はあの日から話すことをやめたんだ。

涙は頬に幾つもの筋をつくり、僕の身体(からだ)をろ過して露草を濡らす。
滴は草のアーチを滑りながら手をとりあい、いつしかひとつの塊となって
地表に落ちた。

絶望……。僕には生きるすべがない。
マミィは死んでしまったんだ。
僕はマミィに何が出来た? 何もしてない。
困らせてばかりいたじゃないか。
僕はマミィのために何も出来なかったんだ。

(シクシク……)

気のせいか、何処かで泣き声が聴こえる。

(シクシク……)

風だ……。
風が僕の身体を通り抜けるとき、声ではなく心で感じる。
なんとも悲しげなその声は次第に胸を圧迫し、苦しさのあまり地面に両手
をついてしまった。

其処には知らぬ間に大きな水溜まりが出来ていて、みるみる変化する。
水面の中央が奇妙に突起したと思うと、いきなり突風に煽(あお)られ
アメーバ―のような形状で僕の背丈ほど持ち上がった。
プルプルとした感触のまま徐々に姿をなしてゆき、青い液体は、いつしか
少女の姿となっていた。 

顎(あご)のラインで切り揃えられた髪はブルーで、ドレスも瞳も全てブルー。
ただ、肌だけは石膏のように白かった。
少女の目からは涙が零れ落ち、地表をたどって再び少女の中に帰ってゆく。
淡々とした表情が、彼女の悲しみの深さを物語っていた。

(キミは誰なの?)

少女の肩に手を置くと、彼女は確かに実体している。
しかし、反応がない……。

――無駄だよ。この子は何も喋らない。キミが話すのをやめたから。――

不意に僕の中で別の声が聴こえてきた。
驚いて振り向くと、今度は全身黒ずくめの少年が立っている。
ドレープの美しい黒の外套(マント)に黒い髪、細い頸(くび)には深紅の襟巻
き(マフラー)が巻かれていた。
少女と同じく白い肌で、切れ上がった目は鋭利な刃物のように青く光って
いる。

――怖がらなくてもいいよ。僕は瑠璃(ルリ)。彼女の後見人なんだ。――

少年の声は彼の口からではなく、僕の心の中に直接響く。
僕が困惑していると、少年は不敵な笑みを浮かべた。

――キミが喋らないからだよ。だから思うだけでいい。それで会話は成り立
つ。試しに何か思ってごらん。――

僕は半信半疑のまま、マミィの顔を思い浮かべた。

――マミィだね。でも先月亡くなっている。綺麗で優しい人だった。――
(何で解かるの?)
――簡単だよ。僕はゼフィロス(西風の神)に仕える身だから。――
(ゼフィロス、何それ、)

僕にはちっとも要領が得ない。ゼフィロスと僕とに何の関係があるというのだ。

――ウラノス(天の神)の命により、僕はキミに降り立った。キミがあまりに
悲しみに暮れているからさ。僕がその悲しみを取り払ってやろうと必死に風を
送ったのに、キミは拒絶するんだもん。マミィを悲しみの中に閉じ込めてしまっ
た――
(どういうこと、)

少年は冷ややかな目を僕に向けたが敵意は感じない。
青い少女に近づくと、彼女の涙を細い指ですくってあげた。 

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