往く人
祖母の危篤の知らせを聞き、僕は家族と夏休みのあいだ田舎で過ごした。

祖母は着いたときから意識がなく、もう誰もが駄目かと思った。
が、十日過ぎたあたりで不意にに目を開き、お腹が空いたと言ったのだ。
その食欲は92歳とは思えない旺盛さで、見るまに回復していった。

祖母の回復を確認しても、数年ぶりの帰省では父もすぐ戻るわけにはいかない。
叔父伯母たちへの挨拶と今後のお願いをしたうえで、ようやく帰って来られたのが26日。
残りの五日間は宿題に追われ、中学でも唯一羽根を伸ばせる中二の夏休みが、
なんとも理不尽に終了した。

今日から新学期。
朝から強い日差しを受け、暑くなる日中が予想できる。
寝癖のついた髪をかきあげて玄関を出た。
これから毎日続く規則正しい生活。久し振りの制服も窮屈なだけだ。
のらりくらりと歩きながら大きなあくびをひとつ。

目の前で、見知らぬ顔が微笑んだ。
同じ中学の制服を着ている。
その生徒はズボンのポケットから大事そうにハンカチを取り出した。
僕のハンカチだ。
「返すの遅くなってごめん」
言われるままに受け取るが、彼が誰だかわからない。
「一学期の終わりに、僕がケガをしたとき貸してくれただろう」
その言葉で思い出した。彼は六月の末に転校してきたヤツだ。
名前は……、なんだっけ。
「村田だよ。僕のこと、忘れちゃった?」
内心、ドキッとしたが顔には出さない。
現に彼の記憶がよみがえりはじめていた。
村田は責めるというより、いたずらっぽく笑っている。
僕は彼がこんな風に笑うとは知らなかった。

転校して間もなく夏休みに入ったため、生徒間でも印象が薄い。
僕が知っている村田は、いつも下向き加減の無表情な姿だ。
「覚えているよ、大掃除のときだろう? 壊れたバケツで手を切ったんだよな」
あのとき君が親切にしてくれたの、嬉しかったんだよ。
誰も僕のことなんか構ってくれなかったからね。
君がさ、夏休みに遊ぼうって言ってくれただろう。そのときにハンカチを返すつもり
だったんだ。だからずっと待ってたけど、君は来なかったね」
そんなことを言ったのか。村田の存在すら忘れていた僕は決まりが悪い。
「いや、田舎に行ってたんだよ。ばあちゃんの具合が悪くてさ」
「おばあさんの? それで、大丈夫なの」
ああ、ぴんぴんしている。夏休みを返してくれって言いたいね」
「そう、それは良かった……」
彼は他人のことなのに、本当に安堵した様子だった。だが、僕を見る目が寂しげだ。
「悪かったな、すっぽかしちゃってさ」
「平気だよ。僕は前の学校でも友だちいなかったから、君のせいじゃない。
僕が勝手に待ってたんだ」
なに言ってんだよ。夏休みが終わったって、これからいくらでも時間があるだろう。
今日は始業式が終わったら帰れる。そのあと遊ぼうぜ」
村田は一瞬、目をみはった。明らかに喜びの色だ。
彼がなにか言おうとしたとき、後ろから声をかけられた。

「おい、なにやってんだよ。こんなろころで」
見ると級友の松沢だ。
「ああ、村田がいたからさ」
「村田だ? なに寝ぼけてるんだ。よく見てみろよ」
松沢に促されて周りを見ると、そこには焼け崩れた家の残骸があるだけだ。村田の家だ。
「おまえ、いなかったから知らないんだな。村田って転校生の家、夏休み入ってすぐ火事で
焼けたんだよ。村田ひとりが家にいてさ、あいつ死んだんだ。
ま、顔も覚えてないけどね。転校してきたじたい、夢みたいだよ」
松沢の言葉にからだが震え、よく理解できない。
手にはハンカチが握られている――。



            ――END――

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