夜の訪問者
夜の訪問者は突然やって来た。
――トントン、トントン、
時刻は10時をまわっている。
僕が夏休みの一週間、叔父の家に遊びに来た最初の晩だった。
扉を開けると、僕と同じくらいの少年が立っている。
黒のキャスケットにグレーのシャツをまとった姿は、都会ですら洗練された
ファッションだ。だが、ここは田舎町のそれも山奥。隣家に行くのも車が必要な
ほど孤立した家だった。

「……あの、お兄さんいますか?」」
僕の顔をみると、少年は少し驚いたように伏し目がちに訊ねた。
「兄なら今、お風呂に入ってますけど、」

兄というのは叔父の事だ。
叔父は母の弟で、浪人した彼は未だに大学生だった。したがって“叔父さん”
なんて呼んでも振り向いてくれない。兄さんだ。
少年は考え込んだまま何も喋らない。
兄さんの客ならばと、僕は彼を中へと招きいれた。

椅子に座った少年は落ち着かない様子でキョロキョロと部屋の中を見渡して
いる。僕は興味深げに少年を眺めた。背は僕よりも低く、いくぶんあどけなさが
残る顔立ちだ。頬は白く、クリクリとした黒い無垢な目が印象的だった。
「キミはこの近くの人なの?」
僕の質問に少年は身構える。
何かを探るように僕を直視した目があまりに可愛くて、僕は笑ってしまった。
彼は正真正銘“純真”なんだ。
都会でこんな可愛い少年をみかけたら、すぐに連れさらわれてしまうだろう。
彼の感じる緊張感が手にとるように伝わってきた。

「もう、遅いだろう。この家は山奥の一軒家だし、キミんちはどこにあるの?」
僕の言葉を理解したのか、少年はおずおずと口を開く。
「裏の……、林の中、」
「へえ、そんなところに家があるんだ。知らなかった。」

自然が好きな叔父は、あえて人里離れたこの家を選んだ。
農家だった家をタダみたいな値段で借りている。
大学は車でで30分のところだったが、商店へも同じく30分かかった。
小さな野菜畑もあり、買いだめさえすれば、叔父としては快適な暮らしだそうだ。

「本当は僕、兄の甥っ子なんだ。夏休みだから遊びに来ている。
キミも遊びに来てるの?」
「ボクは……、妹の具合が悪くて。それで……。」
少年は気まずそうに答える。
「妹さん、病気なの? 療養かなにかで?」
「……妹は、まだ小さいんだ。なのに独りで外に出たりして……。」
少年はなんとも悲しげな顔をした。黒い瞳が僕を見つめる。
少年はそのまますがるように、僕ににじり寄ってきた。
「お兄さんは……? お兄さんはまだ来ないの?」
必死の態度に、僕は困惑した。
「もう来るとは思うけど。キミさえよければ、僕が訊いてこようか?」
「……預けたものが、心配で……。」
「何、それだけ云えば解かるの?」
少年はこくりと頷いた。
僕は少年を部屋に残すと、風呂場にいる叔父のもとへと向かった。

僕が叔父に少年の来訪を告げても、覚えがないといって取り合ってくれない。
叔父をせかして部屋に戻ったが、少年はこつ然と姿を消していた。
座っていたはずの椅子が引かれたままで、その痕跡を残している。
近づいてみると、椅子の上に羽毛が1枚落ちていた。
「コガラの羽根だよ。オレの部屋からくっつけて来ちゃったんだな。」
「コガラ?」
「スズメよりもちっちゃな小鳥さ。3日前かな。裏の林で巣から落っこちているの
を拾ったんだ。明日になったら見せてやるよ。」
「コガラの羽根……。」

僕はいなくなった少年のことが気になっていた。叔父は夢でも見たんだろう、と
はなから信じてくれない。僕はそれ以上、云う気が失せていた。
ただ少年の純粋な黒い目だけが、いつまでも僕の心に焼きついていた。

翌朝、叔父に呼ばれて外に出てみると、手に竹カゴを持っている。
中を覗くと、本当に小さな小鳥がちょこんと枝にとまっていた。
「かわいい。これがコガラ?」
「ちっちゃいだろ。昨日の綿毛もこの子のだよ。幼綿羽(ようめんう)っていって、
ふかふかの毛がやっと抜け変わったんだ。今日が巣立ちだよ。」
叔父がカゴを開けると、小鳥はちょっと首をかしげる。……どこかで鳥の声がした。

――ツィッ、ツィッ、ツツッ、ジャージャー

「ホラ、仲間が迎えにきたよ。さあ、お行き、」
小鳥は導かれるよう、勢いよく外へと飛びだした。
広い大空に、2羽の小鳥が飛んでゆく。
帽子をかぶったような黒い頭に灰色の翼をもった小鳥――。
「違うよ、あれはあの子の兄さんだ。妹のことを心配してたから。」
「何云ってんだ、オマエ、」
訝しげな叔父をよそに、小鳥たちは仲良く林の中へと消えていった。

                         〈END〉

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