ハッピネス


 パパもママも寝静まった夜。
時計の針の音をチクタク聞くたび、ぼくは悲しい気持ちになる。
 
 学校で真新しいグローブを自慢していたヤツがいた。
休みの日にはパパとキャッチボールするって。
そんなのぼくだってあるよ!
 
 だけど。パパと最後にキャッチボールしたのはいつだったろう。

 パパは、ママとぼくとロディ(ぼくんちで飼ってる黒い犬)を守るために
頑張って働いているんだってママは言うけれど、
ここ数年、ぼくの誕生日はすっぽかされぱなしだ。
「今度必ず埋め合わせするから」って言葉が、
いつからかパパの口癖になっている。

 足元で掛け布団が急に重くなった。犯人はロディだ。
芸のひとつも覚えず大きくなったロディは、
ぼくのベッドを窮屈にするだけのダメ犬だ。

「みんな、ぼくのことなんかどうでもいいんだ」
 
思わず涙がこぼれる。
だって明日はぼくの10回目の誕生日。
それなのにパパもママも何も言ってくれない。
きっと誕生日なんて忘れてるんだ。

「だったらぼくと確かめてみる?」

不意にどこからか声が聞こえた。
「何!?」
 誰かがそこにいる。いや、ベッドの上に浮かんでいる。
ぼくと同じくらいの子供だけれど、体中が光ってシルエットしか見えない。
ただ、人形のような真っ白い顔が、ぼくを見つめて微笑んだ。

「こんばんは、ぼくは天使」

驚くまもなく「今夜はきみに見せたいものがあるんだ」
そう言うと、いきなりぼくの手を引っ張った。

「今からきみが知らない本当のパパとママに会わせてあげるよ」

 白い翼が部屋いっぱいに広がった。ロディは気づかない。
バカ犬、と思ったとき、まぶしさに目がくらんだ。瞬間、ぼくは飛んでいる。
星の輝く空だ。
夜風が耳をかするけど、不思議と寒くない。

 天使に導かれ、ぼくは地上にある建物の窓をのぞいた。
ベッドにママがいる。どうやら病院らしい。
隣に眠る真っ赤な顔の赤ん坊に寄り添い、
いちばん嬉しいときのママの笑顔だった。
だけど、目には涙が光っている。

「きみと初めて会ったときのパパとママだよ」

 天使が目配せをすると、
今よりはるかに痩せたパパが赤ん坊を抱き上げた。
何度も何度も頬を寄せては赤ん坊にキスをする。
しまいには顔をくちゃくちゃにして泣きだした。
 それを見ていたぼくは、何故だか胸がいっぱいになる。

「次はこっち」

 光とともに場面が変わった。
夕暮れ、駅前にあるペットショップだ。
 スーツ姿のパパが出てきた。何やら困った顔をしている。
また違うペットショップへ入った。でも、すぐ出てくる。
結局パパは5軒もお店を回って、ようやく満足げな顔で現れた。
 何か大事そうにマフラーにくるんで帰っていく。

後を追ったぼくらが家の窓をのぞくと、まだ小さなぼくが、
これまた小さい黒い生き物を抱えて大はしゃぎしていた。
ロディだ。

 覚えている。
確かぼくが7歳になった夜の事。

「あのときママは、物凄く怒っていたんだ。仔犬なんか飼えないって。
ママは今でもロディのことが嫌いなのかな」

「なら、見てごらんよ」

 今度はキッチンの窓をのぞいて、ぼくは驚いた。
だってママが笑っているんだ。
鼻歌をうたいながら、鍋には仔犬のためのミルクが温められている。

「幸せってさ、目には見えにくいけど、何気ない暮らしの中に溢れてるんだよ。
これでわかったろう?
きみがどんなにパパとママに愛されているのかが」

 天使の声が耳の奥に響く。
ぼくは愛されている、そう思ったとき、急に頬が熱くなった。
くすぐったくて目を開けると、ロディが嬉しそうに顔を舐めまくっている。

 いつの間にか朝になっていた。
でも、いつもとは違う大切な朝。

 ぼくはロディの頭をなでてやった。
ダメ犬だけど、ぼくはロディが大好きだ。

 キッチンからはママがオムレツを焼く匂いがしてきた。
出勤前のパパが顔を出す。

「今日はパパ、早く帰ってくるから。
そしたら久しぶりにキャッチボールをしよう」

 パパはニヤッと笑うと、ぼくにゴムボールを投げてきた。
ロディがくわえて走り去る。
やっとの事で奪い取ると、そこには黒いマジックで文字が書かれてあった。

― お誕生日おめでとう! パパより ―



           END


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